喜わかつ心
[2008年4月]
「喜わかつ心」、これは円覚寺で読んだ言葉です。
ここでは旧道の練習をしているところを見学することができました。 屋内での練習の様子を見てみると、的となるのは巻き藁でした。そこに「筈を見よ」と書いてありました。「筈」という漢字が読めず、縁側で弓を磨いていらした方に尋ねてみました。
読み方だけでなく、「筈」というのは何のことなのか、弓について、練習について、建物について、ドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲル氏(弓の名人阿波研造氏とオイゲン・へリゲル氏の写真)が使っていた弓についてなど、優しく丁寧にとても美しい日本語で教えてくださいました。
弓道は心と人格を磨く道。とても興味がわきました。
さて「筈(はず)」というのは、弓に矢をつがえるとき、弦からはずれないために、矢の末端につけるもので、矢の末端のことも「筈」といいます。「矢筈」ともいいます。私はこの漢字を読めませんでしたが、日常生活でよく使っている言葉であるということを教わりました。「そんなはずがない」の「はず」は、矢の「筈」が語源なのです。矢の筈と弦とが合うことから「当然のこと、道理、わけ」という意味を表す言葉として「筈」が使われています。
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